かさがたやまんのフォトダイアリー

丹波の山里から北播磨、兵庫丹波・京丹波の社寺風景を中心にお届けしています。

明日は第2誕生日

皆さん、こんばんは。。。
 
明日は、私の第2誕生日なんですよ。
 
4年前の1月11日の昼に心筋梗塞で死んで1回目の人生が終わってしまいました。
 
一瞬停まったとか10分停まったとかと違いますからね。夕方まで延々4時間停止してたので、本当はほとんど再鼓動することは無かったんですけどね。
 
確かに、たまたま奇跡的に人工心肺装置のある病院に入院中で苦しみ出して手術室に運び込まれた時点で停止したので、これが病室で停まってたら絶対ダメだったそうです。これが最初の奇跡です。
 
それに、普通の総合病院程度の病院なら人工心肺装置も無いそうですからね。この時点で奇跡が重なっています。これが2度目の奇跡ですね。
 
人工心肺装置って、脚の付け根の大動脈から心臓まで太い管を通して強制的に血を循環させる装置なんですけどね。
 
この装置を付けたから大丈夫ってことではなくて、生き延びても装置をはずす時に死ぬ確立が高いんですね。
 
私の場合、死ぬ確立は90パーセント以上やったらしいです。
 
ですから、手術が終わるまで霊安室で待つように家族は言われたって言ってましたからね。
 
ほとんど、助かる見込みの無い患者やったんですよ。
 
そして、もし助かったとしても良くて脳に後遺症が出るか右足切断やったそうです。(人工心肺の太いチューブを挿入するために、右足への血行が無くなりますからね。足が壊死してしまうそうです、普通なら。そして、その時に神経を切断してるので右足の太腿にまだ痺れが少し残っています)
 
そして、奇跡的に夕方に再鼓動を始めたんですけどね。
 
それから、1週間は意識不明やったんですね。
 
もう、意識は戻らないでそのまま死ぬやろうと誰もが思っていたそうですが、3度目の奇跡で意識が戻ってくれました。
 
そして、1ヶ月間集中治療室で生死をさ迷ったんですよ。
 
その間も、毎日人工透析をしながら僅かな命の炎は繋いでいたんですけどね。
 
ほとんどの人が、集中治療室から出ても回復できないやろうと思ってたと思います。
 
なにせ、心肺停止した患者の中でも最悪クラスの状態の悪さやったんですからね。
 
腹膜透析といって、お腹にチューブを埋め込んで一生毎日自宅で透析しながら生きるしかないと宣言されていたんですよ。
 
それは、99パーセント絶対腎臓は再稼動しないと宣言されていました。
 
それが、4度目の奇跡で手術の何日か前に腎臓が動き出してくれたんですね。
 
ここで、人工透析になってたら今頃生きていないと思います。
 
全臓器不全の身体で、弱った身体で生き抜くのは難しいもんです。
 
そして、何回もの奇跡に助けられて、ようやく4年生き延びる事ができました。
 
身体障害者手帳の上では3級の障害者ですけどね。
 
先生曰く、実際は1級程度の悪さなんですよ。
 
それでも、第2の人生の誕生日を1回でも多く迎えられるように頑張りますからね。
 
皆さんも、健康が一番の財産ですから毎日健康を大事に過ごしてくださいね。