かさがたやまんのフォトダイアリー

丹波の山里から北播磨、兵庫丹波・京丹波の社寺風景を中心にお届けしています。

水子が天国に上る

水子との対面の続きです。

頭の中では解ってるつもりでも、実際の霊と出会い関わりを持つと言うことは祈祷とかで片付けられる問題では無いと思いました。

気功の達人は、私にあんたもできるからと神のお告げのように告げました。

神様からの言葉は、勝手に頭に湧いてきて勝手に喋ってるんやと言いました。

そして、自分も霊媒の人とかに霊界の話や人生の話をする時は、そう勝手に頭に言葉が湧いてきて話をしてるのに気づいたのです。

そして、困ってる人がいると気功の先生の所へ導き強力なパワーで治療してもらったのでした。

でも、そのうち達人を見ていて気付いたんです。本当は、心を治療しないと身体だけ治療しても意味が無いと。

そして、何故か弟子 にすぎない私に治療してほしいと言う人がいる事もです。

そして、思ったんです。先生やと決めた時点から、人は先生になるんやと。生徒はいくら限りなく学んでも生徒に過ぎない事も。

達人と私の違いは何なのかとも考えました。

それは、私が心から法華経と言う教えを信じていた事でした。

続く。