かさがたやまんのフォトダイアリー

丹波の山里から北播磨、兵庫丹波・京丹波の社寺風景を中心にお届けしています。

水子との生活(2)共に生きる

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前の記事からの続きです。

頭の中では解ってるつもりでも、実際の霊と出会い関わりを持つと言うことは祈祷とかで片付けられる問題では無いと思いました。
気功の達人は、私にあんたもできるからと神のお告げのように告げました。
神様からの言葉は、勝手に頭に湧いてきて勝手に喋ってるんやと言いました。

そして、自分も霊媒の人とかに霊界の話や人生の話をする時は、そう勝手に頭に言葉が湧いてきて話をしてるのに気づいたのです。
そして、困ってる人がいると気功の先生の所へ導き強力なパワーで治療してもらったのでした。
でも、そのうち達人を見ていて気付いたんです。本当は、心を治療しないと身体だけ治療しても意味が無いと。

そして、何故か弟子 にすぎない私に治療してほしいと言う人がいる事もです。
そして、思ったんです。先生やと決めた時点から、人は先生になるんやと。生徒はいくら限りなく学んでも生徒に過ぎない事も。
達人と私の違いは何なのかとも考えました。
それは、私が心から法華経と言う教えを信じていた事でした。

法華経の教える事。
それは愛の力は何よりも勝る、他人の為に生きろと言う事なのです。
自分の命をも顧みず他人の為に生きる者は必ず私(仏様)の元に一番に導かれると法華経には書いてあるのです。
そして、法華経の行者とは、決して難しいお経をあげたり祈祷をするのではなく、他人の為に精一杯頑張って役立とうと生きる者の事を言うのです。

そして、私が心肺停止まで自分で商売をしていたのは、良い商品を売りたい仕入れ先と、良い商品を仕入れたいお店の間に立って、皆が一番豊かに暮らせるように役立ちたかったからなのでした。
仕入れ先にも家族があります。お店にも家族があります。そして、お店のお客さんにも家族があります。

お金と商品をやり取りするだけでなく、感謝や嬉しい気持ちを交換する事が本当の商売やと信じています。

そして、心臓が停止する半年くらい前のある日、引き寄せられるようにその霊能者の女の子に出逢ったのでした。
それは突然でした。
あるキッカケで知り合う事となり、待ち合わせの場所に出向いたのでした。
それは、霊媒として何かを特別に期待して出向いたのではなく本当に偶然の出逢いでした。
彼女は、私を見るなり後ずさりして顔を背けます。

どうしたん、私が聞きます。
一瞬困ったような顔をして、こう答えてくれました。
パワーが強すぎて息苦しいと。
今までもそうでしたが、霊媒の人には私のオーラに馴れるまで息苦しいようです。
そして、私のオーラに徐々に馴れてゆきコントロールできるようになったみたいでした。
そして彼女は言いました。
肩に女の子が本当に嬉しそうに抱き付いて笑ってるよと。

そして彼女は女の子に名前を聞いたらしいです。
すると、それは自分が愛娘に名付けた名前だったのです。
その事を知って彼女も本当に驚いていました。
今まで、霊を見てもそのような経験はなかったようでした。
そして、彼女は言いました。
「女の子が、お父さんが大好きやねんて言ってやるわ」と。
その時、本当に本当に心の底から嬉しかったです。

そして、その存在はわかっていても、実際に会話ができないもどかしさから解放された瞬間でした。
霊媒という存在によって通訳してもらう事によって霊に気持ちを聞けるのです。
そして、今まで気になっていたけど、どうしても答えを導き出せなかった事を愛娘に聞いてもらいました。
お母さんの事は、どう思ってるのって。

続く