かさがたやまんのフォトダイアリー

丹波の山里から北播磨、兵庫丹波・京丹波の社寺風景を中心にお届けしています。

水子との生活(1)出逢い

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皆さん、以前に水子の事を書きましたがブログを始めて間もない頃だったので読みにくい記事になってしまってました。

そこで、自分なりに読み易いように繋げてみましたので霊界の事を知る一助にしていただけたら幸いです。

そして、以下は本当に私が体験した実話です。

私には、子供が二人おります。元気に頑張って生きてくれてて嬉しいです。
上の子供が産まれて6年後に下の子供ができました。
お金かかるし面倒くさいからと言われましたが、家内の将来の事や色々困った事があった時に兄弟助け合って生きていってほしいとの思いが通じたのか産んでくれました。

そして数年後、毎日一生懸命仕事に行って、その日も普通に仕事に行こうと思っていた朝でした。
元家内が、不機嫌そうにハンコ押してやと言うのです。
そこには紙切れ一枚置いてありました。
一瞬、きっと女の子や。嬉しいなあという気持ちと、この子は愛されて産まれてこれないだろうという悟りみたいなものがよぎりました。

そして、すぐにハンコを押して仕事に行ったのです。

でも、その子に対して申し訳ない気持ちが心の中に湧いてきて涙が湧いてきます。
そうや、いつもこの子と一緒に暮らしていこう。
自分しか、この子の事を愛してあげられる人間はいてないんだからと。
それが、愛娘との2人での生活の始まりであり、多くの霊能者との出会いの始まりでもあったのです。

いつもいつも、辛い事悲しい事があったら、いつも胸に手を当て愛娘に助けてなと念じました。
楽しい事嬉しい事があったら、良かったよ嬉しかったよと2人で喜びます。
そうしていると、自分の肩に嬉しそうにいるのを感じたり、胸のところで安らかに過ごしているように感じるようになったのです。

決して、霊能者が見るようなものではなく、その感じが伝わってくるのです。

そして、何年か後のある日、初めて霊媒という存在にであったのでした。
それは、まったくの偶然でした。そして、一目見ただけでアリアリと私を怖がっているのでした。
本当に逃げるように離れ避けるのです。見た事も無いくらい無数の霊が、もう個別で存在できずに渾然一体となって付いて来てるのが見えるらしいのです。

そして、見たこともないようなオーラで生まれてはじめて見た色と大きさやと言われたのです。
そして、小さな女の子が見えるとも。
ヤッパリ一緒にいてくれてるんやと本当に本当に嬉しく思いました。
そして、その時までに法華経の行者になりたいと決めていた私は救いをもてめて憑いている霊達と歩んでいく決心をつけたのでした。

自分が肌で感じて今までどんな時でも語りかけてきた愛娘です。
そして、自分と一緒にいることで成仏したいと願っている多数の霊達。
そして、もうひとつその霊媒が教えてくれた事があったのです。

それは、霊媒は霊が見えるけど、霊が見える事をどう生かすべきなのか。ただ見えるだけでは意味が無い、逆に風呂に入れば血の海が見え、鴨川を見ればアベックの前は死体の山が見えるのです。
後日出会った違う霊媒は、琵琶湖で水の中から飛び出してくる亡霊に脅かされたり、本当に辛い生活をしているのを知りました。

そして、自分は霊媒の人に少しでも相談に乗って気持ちをやすらげてあげようと決めたのでした。
そして、ある気功治療の達人に出会い、気功治療と共に姓名判断、運勢判断の世界へも入ったのです。
そして、それは深い宗教の探求への入口でした。
そして、愛娘に幸せになれるように姓名判断して名前をつけたのでした。

続く