かさがたやまんのフォトダイアリー

丹波の山里から北播磨、兵庫丹波・京丹波の社寺風景を中心にお届けしています。

5年前には、(初救急車記念日)

皆さん、おはようございます。

とうとう、今年も大晦日を迎えましたよ。

ここ三田の山里も、暖かい朝を迎えました。昨日の雨もやんでくれましたよ。重病人には、暖かいだけでも本当に助かります。

重病人って私のことですが、いつも元気に暮らしてるので重病人には見えませんけどね。心肺停止4時間の後意識不明1週間。集中治療室で生死をさ迷うこと1ヶ月。死ぬまで毎日腹膜透析(お腹にチューブを差し込めるように手術して、腹膜を利用して人工透析することです。心臓のダメージが大き過ぎて普通の方のように手にシャントを作って人工透析するのには心臓が耐えられないので私の場合は腹膜透析になってしまいます)を宣言されていた身体ですからね。

まさしく重病人に間違いないですよ。いや、重病人というよりは半死人と言った方が正しいでしょう。

心臓が停まった時の主治医の先生も、いま生きていることを不思議がりますからね。なにせ、死ぬ確率9割以上。助かっても辛うじて生きているのが精一杯やと宣言されていたんですからね。

人工透析になる確率に至っては、99パーセント以上。1000人に1人も助からないと言われていたんですもんね。事実、集中治療室を含めて腹膜透析の手術をする数日前まで毎日人工透析をして命を繋いでいたんですから。それも、首にシャントを作って首から人工透析をしていたんですよ。

人工透析の患者の中でも、飛び抜けて重症の患者でしたからね。透析担当の看護士さんも、特別に扱ってくれたのを思い出してしまいました。それは、一歩間違えば死が目の前に見えているほどの重症ですから。看護士さんも、ビクビクしないわけないですよね。

なぜ心臓が停まったのに人工透析って思うでしょ。それは、心臓が停止していた時間があまりにも長いので、多臓器不全(先生は全臓器不全やと笑っていましたが)に陥って腎臓も完全停止したからなんですね。一度壊れた腎臓は、二度と動きません。私のように、一度停まった腎臓が辛うじてでも動くようになるのは奇跡中の奇跡だそうです。

そして、元気そうにはしていますが毎日30錠近い薬を飲んでいますよ。

この前の検査でも心臓の組織の半分は完全に動いてなくて、残り半分の組織で辛うじて生きているって証明されましたしね。

ところで、5年前の大晦日

人生で初めて救急車に乗った記念日です。

その時は、自分で食品関係の会社をしていたんですが、大晦日まで必死で働いていたんですよ。

そして、夜になって咳が酷くて正月を越せそうにないので自分で休日診療所まで行ったんですけどね。酷い状態だったので、休日診療所の先生に救急車を呼ばれてしまいました。

その先は、11日後に心筋梗塞を入院中に起こすんですが、ショックで記憶喪失になっているので心臓が停まる前の苦しい記憶は完全に戻ってきませんよ。

また、不思議な話は別の機会にすることにして、今日は大晦日であって初救急車記念日でもあるんですね。

皆さんも、風邪は万病の元ですからね。私も、疲れたところに風邪をひいて肺炎を起こした後に心筋梗塞を起こしましたからね。

風邪さえひいてなかったら、心臓が停まることもなく今でも元気に会社をしていたと思います。

来年を良き年にするためにも、無理せず健康に生きるためにはどうすれば良いかを考えてみてくださいね。

健康であってこその素晴らしい人生ですよ。

それでは、皆さん良いお正月を過ごしてくださいね。。。