かさがたやまんのフォトダイアリー

丹波の山里から北播磨、兵庫丹波・京丹波の社寺風景を中心にお届けしています。

手が動く幸せ

皆さん、こんばんは。。。
 
3夜ほど心肺停止になった時の話を書いてきたので、続けてその時の体験を書いていきたいと思います。
 
なにせ、いっぱい色々な体験をしたので報告しておきたい事だらけですからね。。。
 
昨日まで、心筋梗塞を起こして心肺停止が4時間に及んで大きなダメージを受けた事を書いてきました。
 
そして、心臓の狭窄部位にステントの留置の処置をしたところまで書きましたね。
 
そして、心肺停止から4時間後に心臓が再び動き出したんですね。
 
でも、その時点で死ぬ確立は90パーセント以上だったので誰も再び意識が戻るとは思っていなかったんですね。なにせ、そのとき家族は霊安室で待っててくださいって言われたらしいです。
 
医者も絶対助からないって思ってたみたいです。
 
それだけ、酷い状態やったんですね。
 
そして、手術が終わってから集中治療室に移されたんですが、それは凄い状態でした。
 
その病院にある機械を全部付けたっていう位、凄い量の機械を繋がれて命をつないだんですね。
 
後で聞くと、ベットの周りは機械で囲まれてて看護士さんが一人立つのがやっとという位凄い量の機械やって言ってました。
 
私は、意識不明やったので全然わかりませんからね。
 
たぶん、皆さんが見たことないような壮絶な状態やと思います。
 
ドラマや映画で出てくるような生やさしい状態やないですからね。
 
口にも鼻にも管を挿され、全身チューブだらけで凄まじい状態やったそうです。
 
後で技師さんに聞くと、その年の患者で一番酷い状態の患者やったそうです。そして、1週間も意識不明やったんですね。1週間も意識不明やったら医者も絶対意識が戻らないと思いますもんね。
 
そして、なぜかわかりませんが1週間したら意識が戻ったんですね。きっと医者も不思議やったと思います。
 
そして、白い雲の中をフワ~と浮いているような感覚がして目の前に医者が立って見ているのを見た記憶があります。
 
でも、記憶喪失になっているので何故ここにいるのかもわかりませんし、ここが何処かすらわからなかったんですね。
 
そして、すぐに再び眠りに入っていったように思います。
 
そして、次に気が付いた時には元家内と下の子供がベットの横に立っているのが見えた記憶があります。
 
そして、何かを言っているのはわかるんですが、口と鼻に管が挿っているので返事ができないんです。
 
すると、看護士さんがホワイトボードを持ってきてくれました。
 
そして、元家内が指を指して返事できるように質問をホワイトボードに書いてくれたんですよ。
 
自分では、指す場所はちゃんとわかっているんですが、ほんの少し指を動かして指す事ができないんですね。
 
たったなんセンチか指を動かす事ができないんですよ。
 
自分でも、困ったなあって思ったんですけどね。
 
結構冷静やったので、これは大変な事になってるんやとは理解しましたよ。だって、私の事には無頓着な元家内が私の為にここにいるって事が不思議で仕方なかったですからね。それが、どんなに非常事態なのかは一瞬にしてわかりました。
 
そして、それからも1ヶ月に及ぶ集中治療室での治療でも山程大変な事がありました。
 
でも、一番目に遭遇した大変な事が手が思ったように動かない事やったんですね。
 
手なんて、自分の思ったように動いて当たり前って思うでしょ。
 
なんのなんの、いざとなったらチョットの事も動かせないものです。
 
人間は、手が使えないだけで本当に不自由なお思いをしますからね。
 
皆さんも、手にダメージを受けなくても脳に障害が出たり色々な場面で手に障害が出ることなんていっぱいありますからね。
 
毎日の健康な日々を大切に過ごしてくださいね。。。
 
 
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