かさがたやまんのフォトダイアリー

丹波の山里から北播磨、兵庫丹波・京丹波の社寺風景を中心にお届けしています。

死んでみて思うこと

皆さん、こんばんは~。
 
最近は、ブログを始めた頃と違って死んだ時の事を書くことが少なくなってるなあって気付きました。
 
携帯ブログで文章ばっかりのブログを書いても読みにくいですからね。
 
おかげさまで自作パソコンが快調に動いてくれてるので、パソコンからも投稿していく事にします。
 
 
そして、今日は死んだ時の事を少し書いてみようと思います。私の場合は、心臓が止まったよってくらいの事じゃなかったんですよ。たまたま、肺炎ってことで救急車で運ばれた病院に入院中に心筋梗塞の発作を起こして心肺が停止しました。
 
きっと、医者も肺炎と思ってるので心臓の治療は何もしないまま何日も放置されてたんやと思います。心肺停止に陥った日は、朝から苦しみ出して病室でのた打ち回ったらしいです。それは、凄い苦しみようだったそうです。これは、生き返ってからその時の担当の看護婦さんが教えてくれました。なにせ、主治医の先生が外科の先生だった上に一般の病棟だったので心肺停止を起こす病人なんて普通は出ない階に入院してたので相当慌てたそうです。慌てて病室から連れ出されて廊下で緊急処置をしたそうです。
 
それでも、凄い苦しがってもがきまわったそうです。
 
心臓が停止するとは、なにが一番苦しいかっていうと息ができなくなるんですよ。意識もあるし息をしようと思っても息ができないんですからね。
 
それに、刺すような激痛もあったように思います。救急車で運ばれる前に胸が痛い痛いって必死に堪えながら仕事をしていた記憶が微かに残っています。私は、心臓が停止して半廃人になる前から死ぬ事は怖くなかったです。自分で商売をしていましたが、自分が死ぬ事より商売が大事でしたからね。商売とは、金儲けではありません。商売とは、他人の幸せの為に貢献する事によって成り立つ行為です。自分の命が惜しくって本当の商売はできないって思っています。
 
戦争で命を落としていった人たちも、自分の欲で死んでいったんじゃないですからね。それをかんがえると、商売も多くのお客さんや関係する人たちの人生に関わって一人でも多く幸せになってもらいたいと願う行為ですからね。
 
 
ですから、心臓が停止するまで死にたくないなんて思っていなかったとおもいます。ただ、仕入先やお客さんの心配だけは一生懸命してたみたいです。
 
 
そして、病棟から手術室に運び込まれた瞬間に心肺停止に陥りました。
 
 
もう一瞬でも早く停止してたら100%ダメだったそうです。
 
 
でも、実際には90%死ぬから霊安室で待つようにってことやったんですよ。
 
 
また、手術の事や集中治療室でのことは改めて書きたいと思います。
 
 
ただ、死んでみて思うことは死は怖いことでもなんでもないことです。1週間意識不明でしたが、閻魔さんにも逢わなかったですし三途の川もみませんでした。きっと、霊界には間違いなく行ったとは思いますが記憶には残らないようになっています。
 
ただ、意識が戻った時の気持ちよさは最高でした。雲に乗ってふわふわしてるようでしたよ。